オーナー 吉田旬佑

オーナー挨拶

私が占いに出会ったのは、大学生の頃です。当時は悩み多き若者でした。たくさんの恋もしてきたし、人間関係に悩むことも多く、また体がでかいこともあり悪気はないのに「態度がでかい」「生意気だ」など言われ悩んでいました。
そんな時に偶然通りがけの占い館を見つけ、なぜか吸い込まれるように席に座りました。 そこで、「あなたの生まれ家はこんな家柄、あなたの星回りにリーダーの星があるから生意気でしょうがない」と言われ、そこから人生において「きっとこれから先もこんなことあるんだなぁ」と一つの自分を受け入れることが出来たのです。 私の学生時代や20代前半を振り返って考えてみると、今どきで言う「チャラ男」な人間でした。それもあいまって軽い気持ちで水商売で働いてみたりしました。
しかし、やはり生意気な私には先輩たちの下働きが嫌でそこそこ売れて後は、酒が飲めなくて辞めた思い出もあります。若気の至りですが。。。
でも占い師はこういう古傷がある人の方が、言葉に説得力があります。机上の空論ではなく、自らの過去をも自分のブランドに出来る職業だと思います。 私は出身が長崎県です。大学進学に伴い横浜に出て参りました。私が長崎出身という事もあり、当時ホームシックになっていた私は初めて自分で調べておしゃれな町を探しました。長崎みたいな洋館、石畳はないかを調べるとそれが元町でした。早速見たことない長い編成の電車に驚きながら散策に出かけました。 しかも中華街がすぐ側、海沿いでもある、港の見える丘公園がある。その時に一瞬でホームシックのブルーな気持ちが晴れた町が元町だったのです。 その後、大学では弓道部に所属していました。私の大学では道場が学内に無く公営の弓道場に出向いていく必要がありました。そこでの練習場所が元町公園弓道場だったのです。 もちろん、体育会の部活ですので成績を求められます。調子の浮き沈み、主将としてのプレッシャー、人間関係、対外交渉などの重責で押しつぶされそうになった時には、いつも元町でなけなしのお金で名店のパン屋さんで買ったパンに噛り付きました。 元町という場所で育てられ、時には救われ、青春の1ページとして刻まれた大切な町、元町でこの度OPEN出来たことを嬉しく思います。そういえば、妻に婚約指輪を買ったお店も元町です。人生の節目、思い悩んだ時、楽しい時いつも元町とは私の人生、切り離すことが出来ないのです。 そんな私も大学時代の部活の経験等を評価して頂き、「体育会系は営業職」とある程度の暗黙のレールに乗っかり、つまらないながらも安定した会社員生活をしていました。社内での順位もそれなりに高く、気づいたら天狗になっていました。その勢いで転職しましたが、病気を発病し普通の会社員生活が難しくなり、長期療養生活になりました。
その中で、もともと副業程度に始めた占い師になることを決意しました。 20歳の際に四柱推命で驚くほどに当たっていることから、勉強を始めました。 その際に鑑定してくれた先生に四柱推命を習い始めました。 自分はどう生きればいいのか? だったらどうすればいいのか? 自らに問いかけ続けて出た答えが占い館を開業しようという決意でした。
そこで、入院生活の中で占い館の開業について調べていたら、ほしよみ堂のHPと出会ったのです。そして、YoutubeなどでFCオーナーの方がお話しされているのを拝見し、「こんな手厚いサポートがあるんだ!」と感動しました。27歳で病気を発病し、働くことが困難になってしまったときに、すっかり会社員生活が当たり前と思っていた私に、「あなたはリーダーになる」と言われた言葉を思い出したのです。 28歳で経営者なんて出来るものか。自問自答をしました。 しかし、よくよく人生を振り返った時に、いつも自分の上司、先輩、社長の言動に怒り、反発し、逆提案をし続けてきた自分を振り返り、「こんな性格だと俺は会社員向いてないな」と悟ってしまいました。 またこれが原因で会社員が嫌になるぐらいなら、自分の理想、想いを共有出来る集団を作り上げたいと思いました。 入院中の病室で中島先生の言葉の中に「鉄は熱いうちに打て」と研修生向けの動画を見たときに病床から決意し、やりたい!と思えたのです。
なぜかそれを見た日に担当の看護師さんに「僕、占い館のオーナーになりたいんすよ。」なんて訳の分からないことを言い始めました。でもその看護師さんが「吉田君、向いてそう!絶対、経営者だよ!」といわれて何故かスイッチが入りました。
ほしよみ堂が横浜に無かったこと、占いの激戦区である中華街がすぐ側であることに加え、自分の人生を導いてくれた元町に毎日通える喜び、元町に似合う自分になりたい。これらの課題と目標が私を動かしてくれました。
そこからはあっという間に行動し、妻にも親にも大反対されてOPENし今日に至ります。
どこかでオーナー、社長というものに憧れがあったのかもしれません。
私は「夢」を持った占い師が集い、「夢」を相互に支援し合える環境こそが、最大の経営目標です。お互い志半ばの者同士が泥臭く、愚直に努力をする集団であり続けることが、現代の悩める社会に希望を与えることが出来ると信じていますし、お客様のご満足に繋がるのだと信じています。 営業職として現場が大好きだった私なのでこれからも、色んな人が人生が交錯する占い館で占い師のサポートとプロデュース、次世代の占い師の育成を担って参ります。
そして第二の故郷横浜で多くの方に必要とされ、愛される占い館を目指して参ります。